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鍼灸学校の教員になるには
鍼灸学校を卒業後、さらに教員養成課程でもある「臨床教育専攻科」に進学した目的は、「臨床経験を積むこと」でした。しかし、専攻科の2年間では自分自身十分と思える経験を積むことが出来ず、またしても卒後の身の振り方に悩むことになってしまいました。

もう「進学」という選択肢はありません。鍼灸・マッサージ師として、稼いで食っていかなければならないのです。脱サラ後、5年間の学生生活で経済的にはかなりひっ迫していました。出来れば安定した収入が見込めるところに就職したい。一番可能性が高いのは鍼灸学校の教員になることでした。

その当時、2004年頃は全国に新設の鍼灸学校が設立され、各校が教員資格者を積極的に募集していたのです。
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しかし、収入の安定を求めて教員になるのは、サラリーマンに戻るということです。それにはやはり違和感がありました。
もう一つ気がかりだったのは、臨床教育専攻科に在籍した2年間では、鍼灸学校で講義が出来るような十分な臨床経験を積んだと自分で思えなかったことです。

「現時点で鍼灸学校の教員になるのはやめておこう」

そう決断しました。

勤務鍼灸師時代
卒業を控え、ただ一人卒業後の身の振り方が決まらない私を見かねて、同級生が就職先を紹介してくれました。町の個人医院が鍼灸師を募集していて、勤務は週3回、治療方法は特に指定されず、自由に鍼を施術してよいとのこと。医師が適応と考えた患者にどんどん鍼灸をすすめるので、患者数は少なくはないようです。

自分が望んでいた形態に近かったので、この医院にお世話になることを決めました。
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働き始めると、運動器疾患がほとんどでしたが、予想通り患者数はそれなりに多く、週3日は存分に鍼を施術することが出来ました。身近に指導してくれる人がいないので、日々の臨床は手探りです。これまで学んできたわずかな知識と経験を総動員しても、結果が出ないことも少なくありませんでした。

この医院に来る週3日以外は、臨床教育専攻科時代からの患者さんを中心に、往診をしていました。仕事を掛け持ちすることで、どうにか食べていけるくらいの収入を得ることができ、一見安定しているかのような日々が続きました。



訪問マッサージの世界へ
一見安定しているような生活が3年ほど続いたころ、「いつまでこの状態が続くのだろう」という不安が徐々に強くなってきました。何とか自分一人で食べていけるようにしたい。いろいろと考えた末に、同級生が着々と事業を拡大していた訪問マッサージの世界に入ってみることにしました。

この時も勤務は週3日で、パート勤務としては良い条件で雇ってもらうことが出来ました。病院勤務中には出会うことがなかった状態の患者さん宅を、冬の雨の日も、猛暑の夏も原付バイクで訪問する日々。
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こちらでも2年ほどお世話になり、良い仲間にも恵まれ、多くの貴重な経験を積ませてもらい、鍼灸ではありませんが、どうにか一人でも食い扶持を稼げそうな自信を持つことが出来ました。

さあ、今度こそ一人立ちしよう!

(つづく)
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「臨床教育専攻科」という選択
あっという間に過ぎた鍼灸学校での3年間。入学当初は脱サラして開業鍼灸師になるという夢を抱いていましたが、鍼灸学校を卒業してすぐに開業して生活していけるほど甘くないという現実に直面しました(もちろん卒業後すぐ開業して成功している方もいると思います)。

問題はいくつもありましたが、1番の不安は臨床経験がほとんどない、ということでした。問題解決のためには鍼灸治療院に就職して、先達に指導を仰ぎながら経験を積んでいく事が考えられましたが、残念ながら希望通りの就職先を見つけることが出来ませんでした。

そこで私が考えたのが、「進学」という手段でした。鍼灸学校の同級生たちの中には、少数ですが卒業後に鍼灸の教員養成課程がある学校に進む人がいたのです。いくつか資料を取り寄せて調べてみると、「臨床教育専攻科」と銘打った課程がある学校を見つけました。

「臨床教育専攻科」。

臨床も学べて教員資格も取れる。費用はそれなりにかかりますが、何より学生の立場で2年間臨床の場に立てるのはありがたい。

しかしその考えの裏には、30歳を過ぎて再び味わってしまった、「学生」という言わば特権的な身分にもう少し浸っていたいという甘えと、まだ就職したくないという現実逃避的な思いもありました。

三十路の私は、鍼灸学校卒業後に再び鍼灸学校へ入学します。

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臨床教育専攻科の学生の進路
専攻科の学生は、すでに国家試験に合格して鍼灸師免許を取得しているので、堂々と臨床実習で患者さんに施術することが出来ます。現代医学的鍼灸、伝統鍼灸、中医鍼灸など、それぞれの分野の臨床経験豊富な講師陣の指導を仰ぎながら、実習現場で学べたのは貴重な経験でした。

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臨床教育専攻科は、基本的には教員養成課程です。当然ですが、同級生たちの大多数は教員志望です。

当時は全国に鍼灸科を持つ専門学校が続々と新設されていて、鍼灸の教員資格を持つ者は各鍼灸学校から引く手あまたでした。

鍼灸科の教員。先生です。
専任教員になれば、収入も安定します。会社を辞めてから縁がなくなっていた、「有給休暇」「ボーナス」といった離れてみるとそのありがたさが分かる言葉も身近なものになります。

鍼灸学校に入学した時には考えもしなかった新たな選択肢を目の前にして、また私は葛藤し始めてしまいます。

(つづく)


専門学校での鍼灸実技
鍼灸学校の修業年限は3年間です。前半は基礎医学や鍼灸の概論を学び、後半は実技も含め専門的な各論を学んでいきます。私が通っていた学校は、プロスポーツのトレーナーなどスポーツ関連への就職を目指す学生が比較的多かったこともあり、入学当初はその方向に興味を持っていました。

3年生になると、各流派の外部講師による実践的な授業が始まります。講師の先生方は、十分な臨床経験を積んだベテランばかりです。それぞれの卓越した理論と手技はどれもが魅力的に見えました。

実技の授業では、学生同士がペアとなり、身体診察・ツボを取る・鍼を刺す・灸をすえる、という練習を重ねていきます。しかし、学生は授業で提示された症状を持っていないことが多く、実習で自分が行った治療が効果的だったのか判断がつきかねました。

となると、同級生以外に練習台になってくれるありがたい人を探さなくてはいけません。


鍼灸は本当に効くのか
私の場合、差し当たりの練習台は家族でした。肩こり、腰痛、頭痛、腹痛など、何か症状があれば教科書を片手に鍼灸治療を試みました。しかし、なかなか思うような結果を出すことが出来ません。

これは、まずい。
このままでは独立しても、到底食べていくことは出来ません。

自分の治療スタイルも決めかねていました。伝統鍼灸なのか、中医なのか、現代西洋医学で行くのか。

3年生の夏が過ぎるころには、かなり焦りを感じていました。
鍼灸は本当に効くのだろうか…。

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鍼灸師の就職先
さらに困ったのが、「鍼灸師」としての就職先が極端に少ないことでした。
求人には「鍼灸・マッサージ師」と書いてあっても、実際の業務内容はほとんどがマッサージであることが多く、臨床で鍼灸をしたい私の希望通りの就職先は見つけることが出来ませんでした。

悩みに悩んだ私は、国家試験と鍼灸学校卒業を間近に控えた年末に漸く決断を下しました。

「卒業後は、ここに行く!」

(つづく)
脱サラ鍼灸師の明るい未来
高校1年生の時初めて鍼治療を受けてから10数年後、私は鍼灸師になるための専門学校に入学しました。20代前半から後半まで営業職のサラリーマンとして働いていたのですが、思うところがあり退職して鍼灸師を目指すことにしたのです。

脱サラ後の生活について模索していた時に、各種学校ガイドや資格取得案内の本を何冊も読みました。これは、と考えていたいくつかの職種の中に鍼灸師も含まれていたのですが、その当時のガイド本の「鍼灸師」のページには、魅力的な言葉が躍っていました。「独立」「開業」とともに、「高収入」の文字も!脱サラするなら、好きな仕事で会社員時代の給料と同等以上に稼ぎたいと考えていた私は「高収入」というその言葉にも引きつけられました。

好きなことが出来て、高収入。

脱サラ鍼灸師の未来は、明るい。

そう思っていました。

当時は。

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鍼灸の治療方法、流派は一つではない
30歳を目前に控えて鍼灸学校に入学したものの、自分が知っている鍼灸治療は高校生の時に受けたものだけです。漠然とヒトの体には「ツボ」というものがあって、そこに鍼を刺したり、お灸をすえると何らかの効果がある。その程度の知識しかなかった私は、鍼灸学校に通ううちに、鍼灸には実に多くの施術方法や流派があるということを知り驚きました。

鍼灸は大まかに分類すると、

① 経絡治療を代表とする日本の伝統鍼灸
② 解剖学や生理学に基づいた施術をする現代西洋医学的鍼灸
③ 中国医学に基づく中医鍼灸

の3つ代表的なものになります(もちろんまだ他にもいくつもの流派があります)。さらに①②③の中にいくつもの流派があり、①~③の内容を混合して取り入れている流派もあります。

私の通っていた鍼灸学校では、これらを広く浅く学ぶことが出来ましたが、当時は主に現代西洋医学に基づく鍼灸を行うスポーツトレーナー系への就職を希望する学生が比較的多かったように思います。

卒業後は独立開業する、と決めてはいたものの、鍼灸師としての選択肢があまりにも多いことを知り、私の長い長い迷走が始まります。

(続く)

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幸運なる出会い
サッカーの練習でひどく腰を痛めてしまった高校生の私は、友人の勧めで通学路沿線の鍼灸院に行ってみることにしました。整形外科に通い、処方された薬を服用し、湿布を貼り続けてもなかなか痛みは減らず、私は焦りを感じていました。

はり治療、というものに特には期待していませんでした。予備知識もなく、はり・きゅうは高齢者が受けるもので、ちょっと怪しい、という印象をなんとなく持っていた程度です(これは今でも多くの人が感じていることかもしれません)。

早くこの痛みから解放されて、サッカーをしたい!

私の願いはこれだけです。

かれこれ30年も前のことなので、今と比較すると情報は圧倒的に不足していました。「腰痛 治療」などとスマホでググる事も出来ないので、身近な人間からの口コミが主な情報源です。たまたま私が聞いた話が「はり」だっただけです。正直なところ、良くなりさえすれば治療法は何でもよかったのです。

この「たまたま」の出会いが、私の人生に大きな影響を及ぼすことになります。

槍投げ


鍼だけではない効果
初めて鍼を受けた感想は、「気持ちが良かった」です。覚えているのは、ベッドにうつぶせになり、腰に何本か鍼を打たれ、そこに低周波の電気を流されたこと。腕っぷしの強そうな院長先生だったこと。鍼ってそんなに痛くないんだ、と思ったこと。

腰痛が一回できれいさっぱり完治したわけではありませんが、私にはある種の満足感がありました。

理由の一つは、腰痛を抱え焦り、悩んでいる私の気持ちを聞いてもらえたことです。話を聞いてもらえるだけで、メンタルが落ち着くという経験を初めてしました。

もう一つは、今抱えている問題を解決するヒントをもらえたこと。腕っぷしが強そうに見えた院長先生は、もとアマチュアレスリングの選手で、腰痛対策として筋トレ、ストレッチなどを教えてくれました。さらになかなかレギュラーになれない私に「人と同じことをしていては勝てないぞ」という内容のアドバイスまでしてくれました。これまで他の医療機関では体験したことのない、とてもありがたく貴重な経験でした。

そして、

早くこの痛みから解放されて、サッカーをしたい! 

という一番の願いがかないました。


しばらくの間この鍼灸院に通った私は、もがきつつもサッカーの練習に復帰することが出来ました。選手として目立った活躍は出来ませんでしたが、大好きなサッカーを高校の最後まで続けることが出来たのは鍼灸との出会いがあったからだと思っています。

(続く)


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