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2018.08.22 鍼灸師の未来
鍼灸学校時代から考えていること
私が治療室そらを開業して今年で9年目、鍼灸師の免許を取得して16年目になります。

実は鍼灸学校に入学してから、つい最近までずっと不安に感じていたことがあります。

それは、

「鍼灸師でこの先生活していけるのか」

ということです。

不安要因は大きく分けると二つ。

一つは「鍼灸師としての技術と知識」
もう一つは開業鍼灸師としての「経営能力」

現状どうにかなっていますが、決して余裕があるわけでもなく、将来の展望もなかなか明るくならない。

職業としての鍼灸師は大好きなので、続けていきたいと思っていますが、常に大きな不安に付きまとわれていました。


整動鍼という技術、あとは…
一つ目の不安だった「鍼灸師としての技術と知識」に関しては、今このブログの別記事で書いている「整動鍼」と出会ったことで解決の方向に向かっています。あとは自分の不断の努力にかかっていると思っています。

問題はもう一つの「経営能力」です。少しネット検索すると、マーケティングのセミナーの広告がいくらでも出てきます。私のような食えるか食えないかの瀬戸際にいる一人鍼灸院経営者が、思わず飛びついてしまいそうになる魅惑的なキャッチコピーが沢山踊っています。

いくつかのサイトをのぞいたりしてみましたが、今一つ心揺さぶられるものがなく、悶々とした日々を送っていました。


「鍼灸師のための経営サミット2018」に参加してきました
そんな折、所属する整動協会が鍼灸師のための経営セミナーを開催してくれることになりました。講師は全員鍼灸師です。コンサルティング会社の開催するマーケティングセミナーとは、違う趣向になるのはきっと間違いない。そう思い、8/19(月)のセミナーに参加してきました。

経営サミット2018-2

内容は「経営・集客マインド」「整動協会の現在進行形の計画」「演者の先生が実践している集客法」などでした。どの演者の講演も現役の経営者かつ鍼灸師としての熱気が伝わってくるもので、今後の鍼灸院経営に大いに参考となる充実した内容でした。


鍼灸師は魅力的な職業か
私個人の鍼灸師としての悩みは、到底個人ですべて解決出来るものではなく、鍼灸と鍼灸を取り巻く環境全体を変革していかなければ解決出来ないものでもあります。鍼灸業界は教育システム、就業形態、研究体制など、たくさんの問題を抱えています。

後半のセミナー「未来サミット」では、整動協会が今後10年で鍼灸師と鍼灸業界をどのように変革していくのかが語られました。それはまさに上述の問題をすべて解決し、さらに鍼灸師の社会的地位をも引き上げることになる壮大なものでした。そして、その計画の中のいくつかは、もうすでに動き出しています。

経営サミット2018

「鍼灸師でこの先生活していけるのか」
鍼灸師になって、つい最近まではそう思っていました。

でも今は、20年前に鍼灸学校に入学した時とはまた違う大きな希望を抱けるようになりました。10年後、誰かに鍼灸師という職業のことを尋ねられたら、自信を持ってこう答えるでしょう。

「鍼灸師は魅力的な職業ですよ」

経営サミット2018 代表・副代表と!





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幸運なる出会い
サッカーの練習でひどく腰を痛めてしまった高校生の私は、友人の勧めで通学路沿線の鍼灸院に行ってみることにしました。整形外科に通い、処方された薬を服用し、湿布を貼り続けてもなかなか痛みは減らず、私は焦りを感じていました。

はり治療、というものに特には期待していませんでした。予備知識もなく、はり・きゅうは高齢者が受けるもので、ちょっと怪しい、という印象をなんとなく持っていた程度です(これは今でも多くの人が感じていることかもしれません)。

早くこの痛みから解放されて、サッカーをしたい!

私の願いはこれだけです。

かれこれ30年も前のことなので、今と比較すると情報は圧倒的に不足していました。「腰痛 治療」などとスマホでググる事も出来ないので、身近な人間からの口コミが主な情報源です。たまたま私が聞いた話が「はり」だっただけです。正直なところ、良くなりさえすれば治療法は何でもよかったのです。

この「たまたま」の出会いが、私の人生に大きな影響を及ぼすことになります。

槍投げ


鍼だけではない効果
初めて鍼を受けた感想は、「気持ちが良かった」です。覚えているのは、ベッドにうつぶせになり、腰に何本か鍼を打たれ、そこに低周波の電気を流されたこと。腕っぷしの強そうな院長先生だったこと。鍼ってそんなに痛くないんだ、と思ったこと。

腰痛が一回できれいさっぱり完治したわけではありませんが、私にはある種の満足感がありました。

理由の一つは、腰痛を抱え焦り、悩んでいる私の気持ちを聞いてもらえたことです。話を聞いてもらえるだけで、メンタルが落ち着くという経験を初めてしました。

もう一つは、今抱えている問題を解決するヒントをもらえたこと。腕っぷしが強そうに見えた院長先生は、もとアマチュアレスリングの選手で、腰痛対策として筋トレ、ストレッチなどを教えてくれました。さらになかなかレギュラーになれない私に「人と同じことをしていては勝てないぞ」という内容のアドバイスまでしてくれました。これまで他の医療機関では体験したことのない、とてもありがたく貴重な経験でした。

そして、

早くこの痛みから解放されて、サッカーをしたい! 

という一番の願いがかないました。


しばらくの間この鍼灸院に通った私は、もがきつつもサッカーの練習に復帰することが出来ました。選手として目立った活躍は出来ませんでしたが、大好きなサッカーを高校の最後まで続けることが出来たのは鍼灸との出会いがあったからだと思っています。

(続く)


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「整動鍼ADVANCE」ステッカー
つい先日、所属している整動協会から新しいステッカーが届きました。整動鍼の応用3編を修了するともらえる「整動鍼ADVANCE」ステッカーです。
整動鍼advanceステッカー1

治療室そらのキャビネットの上にならべてみました。
整動鍼advanceステッカー2

古武術整体の「活法」のステッカーもあります。
整動協会ステッカー

現在治療室そらで行っている施術はこの整動鍼と活法がメインですが、ここに至るまで紆余曲折がありました。


鍼灸との出会い
私が初めて鍼灸を知ったのは、高校1年生の時です。当時県内では強豪だったサッカー部に所属していた私は、練習中に腰を痛めてしまいました。腰痛になったのは初めての経験でしたが、今思い出すとかなり重症だったと思います。一番痛い時は、寝返りをうつのもうめき声をあげながらで、トイレには這うようにして行き、高校を数日欠席したほどでした。

やがて少し痛みがやわらぎ、歩けるようになって整形外科を受診しました。レントゲンを撮り、牽引療法を受け、湿布と痛み止めを処方されました。しばらくの間サッカー部の練習を休み、医師の指示通り通院したのですが、なかなか症状は改善されません。当時は全く医学知識がなかったので、他の治療方法を試すということは思いもしませんでした。

練習が出来なくて、他の選手に後れをとってしまうという焦り。ちょっとした体の動きで脳天まで突き抜ける痛み。私は心身ともにどんどん弱っていきました。

そんな時、陸上部員の友人が同じように腰痛で苦しんでいたのを克服した、という話を耳にしたので、早速話を聞きに行きました。彼は小学校の頃からスポーツ万能で、高校時代はインターハイ出場、大学でも競技を変えてインカレに出たという逸材です。高校時代もその万能ぶりを発揮して、複数の種目を経験しましたが、当時はやり投げの選手でした。

腰痛の治療を受けるのは病院しかないと思っていた私は、「腰痛、ひどかったらしいね。どこの病院で治ったの?」と尋ねました。すると彼は「病院じゃないよ。はりだよ、はり。と答えました。

「はり?」

高校生の私ははりに対する知識はほどんどなく、なんとなく年寄りが受けるものと思っていたのでとても驚きました。

「そんなに腰痛くて困ってるんだったら、俺が行ってるところ紹介するから騙されたと思っていってみ」と、親切な男でもある彼は通っていたという治療院の住所と連絡先を教えてくれました。

「あいつ、やりじゃなくて、はりか…。」と訳の分からないことを考えつつ、なかなか良くならない腰痛に困り果てていた私は、ダメでもともと、と覚悟を決めて「はり」なるものを体験してみることに決めたのでした。

(続く)


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DIY
2代目自作プレート
1年半ほど前、治療室入り口にかける「診療中」等のプレートを自分で作りました。その時のブログはこちら⇒「診療中」のプレートを自作してみました。

あれから早1年半。年齢を重ねるとともに、時間の流れが早く感じるようになると多くの人生の先輩方に言われてきましたが、本当にそうですね。

さて、1年半たってどれくらい劣化したか見てみます。

外からみたところ。
診療中プレート1年半後・3

内側から。
診療中プレート1年半後・2

室内でみたところ。
診療中プレート1年半後・1

1年半前に撮影したものがこちら。
プレート作り-2

ちょっと写真が良くないですが、ほとんど色褪せ等の劣化はありません。

予想以上の耐久性です。シートの品質が良いのか、プリンターのインクが良いのか、いずれにせよまだまだ使えそうです。
あと何年使えるか、もうしばらく耐久性を観察していきます。
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突然の呼び出し
それはぼんやりと記憶に残っているような、嫌な予感を感じさせる番号でした。ありふれた土曜日の昼、携帯電話にかかってきた電話に出ると、聞いたことのない男の声。ある組織からの電話でした。

また血が流れることになる…。
そんな思いがすぐ頭に浮かびました。


私は20代の頃、ふとしたきっかけでその組織と関係を持ちました。それ以来、1年に数回組織の事務所に出向き、あることに関わってきました。私から自主的に出向くこともあれば、組織から呼び出されることもありました。組織からの呼び出しは大抵はメールで、強制されるようなことはなかったと思います。

プライベートで使っている携帯電話で呼び出されるのは、今回が初めてです。血気盛んだった20代はともかく、40代も半ばを過ぎた今、組織から直々の指名がかかるとは思いもしませんでした。

電話の相手に次の日曜日に事務所を訪ねる事を伝え、私は電話を切りました。

組織はまだ私を必要としている。

この私の血を。




組織の事務所
日曜日の朝、家族にも告げずそっと家を出て、市内のJRの駅から徒歩で2分ほどの場所にある組織の事務所に向かいました。昔から組織の本人確認は厳重でしたが、今はさらにチェックが厳しくなり、機械による指紋認証になっていました。

本人に間違いないことが分かると、初めて入室が許されます。ここで携帯電話をはじめとした荷物をすべて預けなくてはなりません。外部との連絡を絶つ事が目的なのでしょう。ここまでくると、小心な私も覚悟を決めざるを得ません。

ふと家に残してきた子供の顔が浮かびました。

受付にいた女性が、何か飲み物を飲むかと尋ねてきました。愛想のよい笑顔ですが、私には目が笑っていないように見えます。一杯のドリンクで緊張が解けるとは到底思えませんでしたが、半ばやけくそでドリンクを飲み干しました。

さあ、いつでもやってやる。

心の中でつぶやきましたが、足がわずかに震えました。

入室の時つけられた番号で呼ばれ、部屋に入ります。記憶にあるより内部は明るく、無機質な機械音が絶え間なく聞こえてきます。部屋のほぼ中央にある電動の大きな椅子に座るよう促されました。

何百人、何千人がこの椅子の上で血を流したことでしょう。

いや、この期に及んではそんなことを考えても仕方がありません。私もその何千人の中の一人になる。それだけです。




流した血の代償
時間の感覚がはっきりしませんでしたが、時計を見るとわずか5分ほどのことでした。この速さは、組織の人間にも毎回驚かれます。

「お前は重宝な奴だ。また自分の意志でここに戻ってくることを期待している」

そのような意味の言葉をかけられ、流血の現場をあとにしました。

帰りがけに、組織から礼の品を渡されました。その品々がこちら↓







芳香剤?
血の代償3
ドリンクセット?
血の代償2
ちょっとレアかもしれない消しゴムとシャーペン
血の代償4

血の代償1

血の代償5
組織の会員証?
血の代償7


というわけで、久しぶりに献血に行ってきました。何でもこの頃雪が降ったり、インフルエンザが大流行した影響で、全国的に血液が不足したということでした。おまけに私の血液型が他よりも少ないAB型だったので、組織から直々に呼び出されたようです。

血の代償6

自分もいつどこで病気や怪我で輸血が必要になるかわかりません。

私がわずかな時間と手間を費やしたことで、知らない誰かの役に立つことが出来るならば、また惜しまず血を流しに行こうと思います。
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